瞑想の話を今日もしよう!
っとその前に、一個質問
あなたは「宗教」という言葉にどんなイメージがあります?
バカって言った方がバカって言葉。
大切な意味深いものだった。
あの頃言っていた言葉は、真理をついていた。
バカって言った方がバカという言葉を真剣に分析してみた結果。
「学ぶ」という活動において、とても重要な意見だと思った。
私達は、必ず何かを学び、選択して生きている。
その時、この言葉が役に立つ。
それが今回のテーマ「バカって言った方がバカ」によって紐解かれる。
このテーマ自体がバカっぽくていいですねぇ(笑)
この言葉の中には三つの項目が隠されている。
1、「バカって言った人」は、否定的なヤツになっている。
2、バカがいるという事はバカじゃないヤツがいる。
3、この言葉で双方を諭しているヤツがいる。
否定しているという事は、逆に言えば、肯定しているということだ。
同じ穴の狢という言葉があるが、つまりは同じ穴、同じ土俵に立って、モノを見ているとも取れるわけです。
普通の事を言うけど、バカが作り出された時、バカじゃないものが生まれる。
ここまでは良いが、この言葉の興味深い点は、この言葉はバカが言ったわけでもなければ、バカじゃないヤツが言ったわけでもない点だ。
つまり、第三者の意見なのだ。
私達は、何かを学び、何かを選択している。
偉大な聖者・覚者達は、この第三者の意見を使って話をする。
学びには中間的思想が重要。
勉強でも、豆知識でも、ノウハウでも、身につければ、身につけるほど、その逆を行くものに対して否定的になることは良くある話。
心理学者はスピリチュアルが嫌いだ。
科学者は哲学者を否定する。
100があれば-100があるように、伸びれば伸びるだけ、縮むものが生まれる。
この否定こそが人類を大きく成長させるバネになっている。
しかし、今回のテーマである、「バカって言った方がバカ」という意見は、
肯定否定の双方でもない。
0があるからこそ、100と-100が存在してくれている事を教えてくれる。
飛躍的な例え話をするなら、こうだ。
活発的に生きるか怠惰に生きるか。
しかし、それは中間的に生きるものがベースにあってこそ存在できる。
この中間的思想を持つと色々なものが見えてくる。
例えば、「宗教」と聞いて、アナタはどう思うだろうか。
肯定したとしても否定したとしても、貴方は同じ穴にいるということだ。
つまり、宗教的ということだ。
どちらでもないという人は、無関心であり、100も-100も0も知らない。
ではどうしたら、いいのか。
そこで「バカ言うヤツはバカ理論」です(笑)
もし何かを真剣に学び、何か現状から変容しようと望むのなら、
本当の意味で0スタートしないと、宗教的になってしまう可能性があるのかもしれない。
心理学者が0からスピリチュアルを学ぶのは難しいだろう。
必ず過去学んできた心理学が邪魔をする。
逆も然りだ。
もっと身近なところでいうと、
仕事の手順を学ぶ時でも、過去やってきた自分なりの手順が邪魔になり、
学ぼうとしなくなってしまうだろう。
だから本当の意味で0スタートする必要がある。
0を知る為の具体的な手法に「瞑想」がある。
瞑想の効能の中に、心を落ち着かせるというものがある。
この手法を使って、平常心とは、どんなものなのかを知る事ができる。
瞑想によって、中間的な自分を知る事ができれば、疑いも減り、過度に信用することもなくなる。つまり、自分らしさが出てくるようになるというわけだ。
この自分らしさを原点に、活動することで、身体は否定的になっていても、心は0地点に。
身体が活発的でも心は0地点に。
心が揺れ動く事が減れば、余分な不安感が減り、ますます自分の人生を謳歌することに繋がる。
あの時言っていた言葉で話を広げられると思ってなかったわ(笑)
まとめ
・0地点を知っているヤツは吸収が速い。
子供の様に純粋に疑うことなく過度に信用することなく自分を生きる。
・中間的になる手法の一つに瞑想がある。
0を知っているヤツに「バカといってみよう」
「ほう。これをバカと言うのか」
みたいな感じで諭されるかも。
今日はこの辺で!
ありがとうございますッ
ヴィディア・コンサルティング
泰生
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広美 (月曜日, 07 10月 2019 10:25)
朝から本当にすみませんでした、~朝早くから、友達に、あんたバカじゃないと言われたので、我慢をしてて、サイトに、メッセージを書きました、本当にに、申し訳なくて~、分かっていても、つい、イライラして、、そのバカて使う人が余りにも、使う言葉が、私は嫌だったからです、詫びます、ごめんなさい、今度から注意をして、聞き流すようにします、お話を聞いてくれて有り難うございます、失礼します、ごめんなさい�